むかし子どもだった大人たちへ。
いまのこどもたちに伝えてほしい、宇宙を"好き"になるものがたり

「はまぎん こども宇宙科学館」的川泰宣館長のオンライン宇宙教室がスタート!第3回「軌道への跳躍」その2「初期のミューと草創期の科学衛星」

ゼロから未来につなぐ。「的川館長のオンライン宇宙教室」

日本の「宇宙教育の父」であり、JAXA名誉教授でもある「はまぎん こども宇宙科学館」の的川泰宣館長が、思い出話を交えながら日本の宇宙開発について語ります。
不定期にライブ配信するこの番組は、完全大人向けで、日本の宇宙開発の黎明期から現在までを、寄り道をしながらわかりやすく、臨場感たっぷりにお話しします。
宇宙の楽しさやおもしろさを感じながら日本の宇宙開発について学んでみませんか?

第3回「軌道への跳躍」その2「初期のミューと草創期の科学衛星」では、ミュー(M)ロケットの開発と進化発展(第1世代~第2世代)と打ち上げられた科学衛星についてのお話です。現場でともに活動した的川館長が臨場感たっぷりに解説します。

ミュー(M)ロケット試案の形状と変遷

1970年のL-4Sによる「おおすみ」打ち上げ成功以降、外側ヴァン・アレン帯(高度1万km以上)に届く、科学衛星打ち上げ用のロケットとしてミュー(M)ロケットが開発されました。計画試案書を何度も改訂した後、Mシリーズ第1世代のM-4S、第2世代のM-3C、M-3H、第3世代のM-3S、第4世代のM-3SII、最終型M-Vへと改良を重ね、その間に数々の科学衛星を打ち上げて、日本の宇宙科学観測に大きく貢献しました。

ミュー(M)固有の準備

・ミュー台地
おおすみを打ち上げた「KS台地」から見下ろすところに整備された、Mロケットのための打ち上げ施設(射点)。

・美宇橋(みうばし)
内之浦宇宙センターの設計・建設概要に携わった生産技術研究所の丸安隆和先生によって、1965年12月、内之浦実験場の入り口に、Mロケットの各段モーターを運び込むための橋が架けられました。「美宇橋」と名付けられ、「丸安隆和先生は美しい宇宙へ通じる道の入り口に"美宇橋"を架けた」と賞賛されました。

・クロソイド曲線の道
クロソイド曲線とは、高速道路や鉄道の直線とカーブをつなぐ緩和曲線として用いられ、曲がり具合が滑らかに変化する螺旋状の曲線です。ハンドルを一定の速さで回した時の車の軌跡を描くため、安全で快適なカーブを実現します。内之浦宇宙センターの入り口からミュー台地に通じる道は、Mロケットの部品を運びやすくするため、丸安先生の考えのもとクロソイド曲線が採用されています。

初代のミュー M-4S

Mロケットの第1世代は、4段式のM-4Sでした。軌道投入にはL-4Sロケットと同じグラビティターン方式を採用し、下段が尾翼とスピンによって安定が保たれました。1号機は第4段不点火という不慮の事故で軌道に乗せることができませんでしたが、2号機以降、続けて3機の人工衛星を軌道に乗せることができ、ミューによる衛星打ち上げ技術は安定した評価を受けるに至りました。

 打上げ日
ミッション
・1971年2月16日 
試験衛星「たんせい」
・1971年9月28日
科学衛星「しんせい」
・1972年8月19日
電波観測衛星「でんぱ」

4段式から3段式へ、第2世代のミュー M-3C

第2世代は3段式のM-3Cでした。第2段と第3段が新規に開発され、SITVC(二次噴射推力方向制御装置)とサイド・ジェット装置が取り付けられた結果、軌道投入精度が格段に向上しました。また、3段目には秋葉先生によって開発された大型の球形ロケットモーター(M-34)を装備し、3段式でありながら4段式を上回る軌道投入能力を確保しました。

 打上げ日
ミッション
・1974年2月16日  
 試験衛星「たんせい2号」
・1975年2月24日
超高層待機観測衛星「たいよう」
・1979年2月21日
X線天文衛星「はくちょう」

大雪の思い出

「たいよう」の打ち上げ準備のさなか、内之浦に30年ぶりの大雪が降りました。内之浦の町から実験場へ登っていく坂道もびっしりと雪で覆われ、300人を越える実験班を車で運ぶのは大変な苦労でした。
そもそも鹿児島ではチェーンなど用意していないし、チェーンがあっても、内之浦の運転手さんには、チェーンの巻き方を知らない人もいます。実験場の入り口の手前には美濃峠という特に急な坂道があり、バスやタクシーはすべてここで立往生。乗客もみな降りて、運転手と一緒に実験場まで押していく光景が見られ、おおわらわとなったのを覚えています。

コルサ(CORSA)衛星の忘れえぬ思い出

1976年2月4日、内之浦の発射場からM-3C型ロケットの3号機が飛び立ちました。ノーズフェアリングの中には、日本のX線天文学グループが開発した、日本初になるはずのX線天文衛星コルサ(CORSA)が積まれていました。当時、的川館長は軌道監視グループの一人として、発射直後から追尾レーダーがコンピューターを通して送ってくれるロケットの飛翔径路図をじっと見ていました。
第2段燃焼開始直後、的川館長は自分の目を疑いました。ロケットの飛翔径路があらかじめ描いてある標準径路からどんどん離れていくのです。ロケットは異常に頭を下げ、第2段の燃焼中にすでに水平になろうという勢いにありました。このまま行くと頂点高度は80km程度であることも、目の前のディスプレイが示しています。この程度の高度では、衛星は数時間ももたないで大気中で消滅してしまいます。第3段に点火するかどうかの判断に迫られましたが、このまま点火して衛星軌道に乗せても意味がない...。発射後232秒、以後のシーケンスを支配するタイマーを中止するコマンドが送信されました。
X線天文学のグループは大変なショックを受けました。とりわけそのリーダーである小田稔先生の落ち込みようは大変なものでした。当時内之浦の定宿の隣に「ロケット」というバーがありました。その夜バー「ロケット」で、いつもほがらかで明るい小田先生が、「これで日本のX線天文学はアメリカに10年遅れをとってしまった ...」とつぶやくのを、つらい気持ちで聞いていました。
しかしこのロケットの第2段の異常は、後に原因が完璧に解明されました。発射前のコネクター離脱の際の雑音によって、ロケットのコンピューターに憶えさせておいた第2段の姿勢基準と第3段の姿勢基準が入れ替わってしまっていたのです。メーカーの人たちから「もう一度やりましょう」との声が上がり、X線グループは悲しみを乗り越えて立ち直りました。3年後に打ち上げられたCORSA-b衛星は、小田先生たっての要請もあって「はくちょう」と名付けられました。

2代目の改良M-3H

M-3Hロケットは、M-3Cの第1段の長さを延長して推進剤を増やし、より重いペイロードを運ぶようにしたもので、本質的にはM-3Cと同世代のロケットと言うことができます。

 打上げ日
ミッション
・1977年2月19日
 試験衛星「たんせい3号」
・1978年2月4日
オーロラ観測衛星「きょっこう」
・1978年9月16日
 磁気圏観測衛星「じきけん」

草創期の科学衛星たち

・「たんせい」
初の「ミュー衛星」。わが国2番目の衛星となり、東京大学のスクールカラーにちなんで「たんせい(淡青)」と命名されました。今では笑い話になりますが、「無重力の軌道上でデータレコーダの回転を止めると2度と回転しないのではないか」ということが真剣に議論されていました。結局ミッションが終わるまで1度も止めることがなく、データレコーダには過酷な耐久試験をしたことになりましたが、宇宙環境下での貴重なデータを取得することができました。

・「しんせい」
最初の科学衛星となり「しんせい(新星)」と命名されました。「しんせい」は科学観測についても有意義な観測結果が得られ、南米大陸付近の異常な電波を観測したり、短波帯における太陽電波発生のメカニズムの解明に貢献したり、中南米の宇宙線の異常カウントを観測したりと成果を上げていました。「しんせい」は初めての衛星観測の経験でしたが、その価値の大きさを見事に証明した衛星でした。

・「でんぱ」
打ち上げ後第26周目、高圧電源を投入する際に電源回路が異常をきたし観測不能となってしまいました。ただし、衛星からの送信が途絶えるまでのデータは予定通り受信され、電離層および磁気圏のプラズマ密度、電子温度、地球磁場分布などに関する情報を取得することができました。

・「たんせい2」
初めて衛星に姿勢制御装置を搭載し、姿勢制御実験を実施しました。地磁気を利用した衛星の姿勢制御の実験は、姿勢検出の精度内でそれらを達成しうることが確認され、後につづく科学衛星の姿勢制御のための予備実験としての目的が達成されました。

・「たいよう」
太陽の輻射エネルギーを受けてさまざまに変化する熱圏のふるまいを調べました。またこの衛星は、同じような観測を行う西ドイツのAEROS-B衛星と国際協力研究が進められました。

・「たんせい3」
M-3H型ロケットの性能試験、沿磁力線姿勢安定化方式、コールド・ガスジェットによるスピン軸制御実験など、第5号以降の科学衛星に求められる新技術の実証を目的として打ち上げられました。

・「きょっこう」
主な観測目的はオーロラの観測で、それを柱として磁気圏、プラズマ圏、電離圏の相互作用の研究を目的としました。また、ちょうどそのころ進行中だった国際磁気圏観測計画(IMS)に、半年後に打ち上げた「じきけん」衛星とともに参加した衛星でもあります。世界で初めて紫外線によるオーロラ撮像が行われ、オーロラの発達過程が2分8秒毎に映し出されました。さらに部分的な撮像ではなく、世界で初めて地球全体にわたる全体像をとらえることにも成功しました。

・「じきけん」
先の「きょっこう」とともに国際磁気圏観測計画に参加し、プラズマ圏より磁気圏深部に至る領域の研究を行うことを目的としました。当時はメーカーの人たちも一緒に実験場に泊まり込んでの作業でしたが、そのときに生まれた「トラッキング数え歌」からは、休まず回ってくる衛星を追跡した当時の追跡班の心情が伝わってきます。

・「はくちょう」
日本初のX線天文衛星で、搭載された「すだれコリメーター」によってX線バーストなど宇宙起源のX線源の観測を行いました。すだれコリメーターとは、小田稔先生が考案した、高エネルギー電磁波の入射方向や位置を特定する装置です。

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