むかし子どもだった大人たちへ。
いまのこどもたちに伝えてほしい、宇宙を"好き"になるものがたり

「はまぎん こども宇宙科学館」的川泰宣館長のオンライン宇宙教室がスタート!次回配信は2025年11月28日(金)予定

ゼロから未来につなぐ。「的川館長のオンライン宇宙教室」

日本の「宇宙教育の父」であり、JAXA名誉教授でもあるはまぎん こども宇宙科学館の的川泰宣館長が、思い出話を交えながら、日本の宇宙開発について語ります。
不定期に金曜日の夜にライブ配信するこの番組は、完全大人向けで、日本の宇宙開発の黎明期から現在までを、寄り道をしながらお話しします。
的川館長のお話を聞いて、宇宙の楽しさやおもしろさを感じながら日本の宇宙開発について学んでみませんか?

株式会社コングレは、指定管理者「CTC共同事業体」として、はまぎん こども宇宙科学館(横浜こども科学館)の管理運営を行っています。

第1回「日本の宇宙開発のはじまり」(2025年9月26日配信)

約150分の超大作!...を、かいつまみながら(ネタバレしながら)ご紹介します。

配信では、的川館長の自己紹介からはじまり、日本の宇宙開発の父と呼ばれる糸川英夫氏の少年時代から青年期の半生についてお話しています。糸川氏のご家族や時代背景などを解き明かすことで、日本の宇宙開発を支えた精神的な土壌を浮き彫りにしました。

はじめの記憶、母の背中

的川館長自身の、幼い頃の教育環境や家族、特に戦時下・戦後の呉での生活といった幼少期の経験から、生物や宇宙に対する好奇心や冒険心がどのように形成されたかを回想し、その後の人生の方向性に大きな影響を与えたかを紹介しました。

足し算でひらめいた、バケツの水と海の水の色のちがい

的川少年が海釣りをしているときに、青い海の水をバケツに汲むと透明になることに気づきました。「薄い青の足し算」が濃い青になると仮説を立てたのです。

的川少年の宇宙との出会い。宇宙の奥行

場所は夜釣り。夜空が単なる平面ではなく、壮大な奥行きを持つ三次元空間であることに気づきました。「数億光年の奥行きにどこまでも行きたい」と思った瞬間、的川少年にとっての宇宙がはじまったのです。

日本の宇宙開発の父、糸川英夫氏との出会い

宇宙に興味を持ち始めた的川少年をけん引するかのように、各国の宇宙開発に関するニュースが飛び込んできます。

■ペンシルロケット (1955年)
今からちょうど70年前、的川館長が中学1年生のときに新聞でペンシルロケットの水平発射実験のニュースに触れ、初めて「ロケット」という言葉と、そのリーダーである糸川氏の名前を知りました。

■スプートニク (1957年)
高校1年生のときに、中学時代の恩師の導きで、人類初の人工衛星スプートニクが夜空を移動する光を肉眼で観測しました。「人間が作ったものが地球の周りを回っている」という事実に感動し、未来への希望を抱きました。

■専門分野の選択
大学で専門を選ぶ際、観測が主体の天文学を「受け身の学問」と感じ、自ら設計・開発するロケットに能動的な魅力を感じて宇宙工学を選びました。大学院では、中学時代に名前を知った糸川氏の研究室に進みました。そこから糸川氏とその弟子たちの一人として日本の宇宙開発に携わるようになります。

的川館長は自身の幼少時代を振り返りながら、宇宙開発を推進する三つの心についても説明しています。自身の経験から、宇宙への関心を「冒険心」(奥行きへの探求)、「好奇心」(物理的性質への探求)、そして「匠の心」(観測・開発技術への探求)の三つに分類しています。日本の宇宙開発は、これらの異なる動機を持つ人材が結集することで発展してきたと結論づけています。

的川館長からみた糸川英夫氏の少年時代

原体験の力:

糸川氏もまた、幼少期の原体験がその後の人生の原動力となっています。4歳のときに青山練兵場で見たアート・スミスの曲芸飛行や、自宅に電灯が灯った際の衝撃、ヤゴのジェット推進への驚きといった幼少期の強烈な「感動」がその後の人生に大きな影響を与えました。これらの体験が後の「憧れ」となり、リンドバーグの大西洋横断飛行を機に「未来への決意」へと昇華されました。

ぼくはエジソンになる。ユニークな家庭教育と学校生活の中で育まれた、糸川少年の知的好奇心

両親の先見性:

両親は、これからの時代は欧米と対等に交際する必要があると考え、糸川少年に幼少期から鳥居坂教会の日曜学校に通わせ、西洋文化(キリスト教やオルガン音楽)に親しませました。
小学校低学年の頃、退屈さから鉛筆を転がしてテストに解答していたことが発覚しました。母は叱責する代わりに「耳の不自由な隣の席の五郎ちゃんに、あなたが真面目に勉強を教えてあげなきゃね」と諭しました。この一言で糸川少年は「勉強は自分のためではなく、人のためにするものだ」と悟り、それ以降、学業に邁進し、驚異的な進歩を遂げました。

科学的探究心の現れ:

①火遊びと想像力
 虫眼鏡で紙に火がつく現象から「紙の中には太陽の子供がいて、太陽(お母さん)に呼ばれて外に出てくる」という詩的な想像を膨らませました。
②独創的な工作
ガラス管とマッチ棒の頭薬で「マッチ棒ロケット」を、電磁石と永久磁石で「磁石ロケット」の製作を試みるなど、小学生離れした実験と工夫に没頭しました。

リンドバーグからのメッセージ「おまえは太平洋を飛べ」

リンドバーグの快挙 (1927年):

中学3年生のとき、チャールズ・リンドバーグの大西洋無着陸横断飛行成功のニュースに糸川少年は衝撃を受けました。「なぜ日本人は飛べなかったのか」と自問し「太平洋はまだ残っている」と思い至りました。この時「リンドバーグが自分に向かって『太平洋はお前が飛べ』と言っている気がした」と感じ、飛行機に一生を捧げることを固く決意しました。

そして専門家の道へ

大学時代と師との出会い:

専門課程として、東京高校理科甲類(第一外国語が英語のエンジニア養成コース)を経て、東京帝国大学工学部航空学科に進学しました。当時は定員9名の少数精鋭学科であり、仲間たちと日本の将来を憂い、航空技術の重要性を語り合いました。

生涯の師、谷一郎氏:

授業で出会った流体力学の世界的権威である谷一郎氏の学識と人柄に深く感銘を受け、生涯の師と仰いでいます。難解なテストでケアレスミスを見つけた谷が、言葉を発さずに机を指で叩いてヒントを与えてくれた逸話は、二人の師弟関係を象徴しています。

社会への第一歩:

大学卒業後、本人の希望とは異なりましたが、教授の強い勧めにより中島飛行機株式会社に入社しました(1935年)。奇しくもそれは、日本の軍備拡張が加速し、航空機が複葉機から単葉機へと移行する技術的転換期でした。糸川氏の少年時代はここで終わりを告げ、日本の航空技術をリードする青年技術者としてのキャリアが始まりました。

次回配信のご案内:第1回「日本の宇宙開発のはじまり」その2
2025年11月28日(金)19:00 オンラインライブ配信

「ペンシルロケットは果たして打ち上がるのか」

度重なる試行錯誤と危機を乗り越え、打ち上げは成功するのか?
そして、的川館長のお話しは時間内に打ち上げの瞬間までたどり着けるのか?
ぜひご期待ください。