むかし子どもだった大人たちへ。
いまのこどもたちに伝えてほしい、宇宙を"好き"になるものがたり
「はまぎん こども宇宙科学館」的川泰宣館長のオンライン宇宙教室がスタート!第2回「日本の宇宙への飛翔」その2
ゼロから未来につなぐ。「的川館長のオンライン宇宙教室」
日本の「宇宙教育の父」であり、JAXA名誉教授でもある「はまぎん こども宇宙科学館」の的川泰宣館長が、思い出話を交えながら日本の宇宙開発について語ります。
不定期にライブ配信するこの番組は、完全大人向けで、日本の宇宙開発の黎明期から現在までを、寄り道をしながらわかりやすく、臨場感たっぷりにお話しします。
宇宙の楽しさやおもしろさを感じながら日本の宇宙開発について学んでみませんか?
第2回「日本の宇宙への飛翔」その2(2026年2月27日配信)
第2回「日本の宇宙への飛翔」では、ペンシルロケットからベビーロケット、そしてカッパロケットへと続く、日本の宇宙開発の"飛翔の始まり"をたどります。戦後の混乱期から、どのようにして日本が宇宙開発国として世界に認められるまでに至ったのか。その裏側には、技術者たちの挑戦、地域の人々の支え、そして偶然と必然が交錯するドラマがありました。
本編では、1956年以降のカッパシリーズの進化、1957~1958年の国際地球観測年(IGY)で世界に認められた日本の技術、そして日本のロケット打ち上げの"聖地"ともいえる「内之浦宇宙空間観測所」が誕生するまでの物語を紹介します。
※この文章は、的川館長のお話しをもとに、一部の情報は生成AIによる補足を行っています。
「カッパ」が切り開いた日本の宇宙への道
国分寺でのペンシルロケット実験を成功させた日本の研究チームは、次のステップとして秋田県の道川海岸で本格的な打ち上げに挑みました。ここで誕生したのが「カッパ」シリーズです。カッパは、日本が"宇宙開発国"として世界に認められるきっかけとなった重要なロケットであり、ロケット開発においても、カッパシリーズを通じて大きな進化を遂げました。
推進薬の進化がロケットを変えた
カッパ5型(K-5)から、推進薬が従来の「ダブルベース火薬」から、より高性能で形状を自由に設計できる「コンポジット推進薬」へと変更されました。これにより、ロケットを大型化し、より高い高度へ到達させることが可能になりました。
高度200kmの世界へ
カッパ8型(K-8)はついに高度200kmを突破。
この高さは、地球の上層大気(電離層など)を詳細に観測できる領域で、科学的価値が非常に高いものでした。当時の研究者たちは「日本でもここまで来たか」と大きな手応えを感じたといいます。
世界が注目した日本の技術
日本のロケット技術は海外からも高く評価され、カッパ6型は旧ユーゴスラビアへ5基、カッパ8型はインドネシアへ10基が輸出され、現地の観測に貢献。戦後わずか十数年で、海外にロケットを輸出する国になったことは、当時としては驚くべき快挙でした。
1961年、新たなステージ「内之浦」へ
カッパロケットの性能が向上するにつれ、より安全で広大な発射場の必要性が高まっていきました。
そして、ある事故が転機となります。
カッパ8型10号機の事故
本来は高度を観測することを目的としたロケットも、到達高度が高くなるにつれ水平距離への配慮が必要となり、新たな発射場を検討する必要がありました。そして、ある悲しい出来事をきっかけに拠点を移すことになります。
1962年5月、カッパ8型10号機が発射直後に爆発する事故が起きました。幸い怪我人は出ませんでしたが、民家の近くまで破片が飛び散る大きな騒ぎとなりました。この事故を受けて、より安全で広大な打ち上げ場所を求めて、秋田県の道川海岸から鹿児島県の内之浦(現在の肝付町)へ全面的に移転することになりました。
「ここだ!」糸川英夫先生の直感が内之浦を決めた
新しい発射場を探すため、糸川先生は全国を歩き回りました。
その中で、内之浦を選ぶ決め手となった印象的なエピソードが残っています。
峠でのひらめき
険しい山道の途中で休憩した際、糸川先生は太平洋を見渡しながら突然「ここだ!」と叫びました。
周囲は崖と山ばかりで、普通なら「平地がないから無理だ」と諦める場所です。しかし糸川先生は、「山を削って平地を作り、その土で道路を作ればいい」と逆転の発想で決めてしまったのです。
急カーブ、370か所の難路
当時の内之浦は交通の便が悪く、タクシー運転手も避けるほどの場所でした。ロケットを運ぶには370カ所の急カーブを越える必要があり、調査班は草を刈り分けながら進むほどの難所でした。
心が折れかけたとき、地元の婦人会が差し入れてくれた"おはぎ"が大きな励ましに。
「ここで実現したい」という決意が固まったといいます。
町を挙げての起工式
1962年2月2日、起工式が開催されました。婦人会が用意した200名分のお弁当、小中学生による「ロケット」の人文字、横断幕やアーチなど、街全体がロケット一色に。翌日の新聞は、「陸の孤島内之浦、極東のケープカナベラルに変身」と報じました。
"KSC"の誇り
内之浦の正式名称「鹿児島宇宙空間観測所」は英語で「Kagoshima Space Center(KSC)」。実はアメリカの有名な「ケネディ宇宙センター」も同じKSC「Kennedy Space Center」。「内之浦のKSCは、アメリカのKSCより1年早く稼働を開始し命名されており、本家KSCは内之浦である。」的川館長が国際会議でこの話をすると、NASAの担当者が驚いて黙り込んだという逸話もあります。
*)ケープカナベラル:フロリダ州にあるケープカナベラル宇宙軍基地。ケネディ宇宙センターでも知られる、世界的に有名な宇宙開発の拠点です。最近ではスペースX社の打上げなどでも話題になりました(2026年3月)。
世界初の山がちな地形の発射場「内之浦」での挑戦が続く
カッパ8型の発射実験は内之浦で続きます。ラムダロケットの開発実験も並行して進められ、秋田県能代では地上燃焼試験が行われるようになっていました。そして内之浦でのラムダの時代、日本初の人工衛星「おおすみ」への挑戦に続きます。
次回:第3回「軌道への跳躍」その1「5回にわたる喜怒哀楽」
次回の「的川館長のオンライン宇宙教室」は3月25日に開催。
第3回「軌道への跳躍」その1「5回にわたる喜怒哀楽」に、どうぞご期待ください。